読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

登美子の感じる世界

自分の中の“愛と平和”を育む奮闘日記。うんとこしょ♪

結局は、嫌われるのが恐いだけ。

ブログを読んでくださり、ありがとうございます。

ブログを書き出して3日目です。たった2日しか書いておらず、なにも偉そうなことは言えないのですが、朝6時に起きて、ぎりぎりの7時までこうして書いています。書けなかったら、夜か翌日に回す、そうしてどんどん続けていこうと思っています。

f:id:tomikotagawa:20170210125057j:plain

 

幸福感がすごい

 とっても今幸せです。たかがブログなのですが、好きに書いていい〜というだけのことなのに、今までどれだけ自分を縛ってきたのだろう・・と驚いています。そして、家事や仕事もやる気というかとてもはかどることにも、ビックリしています。

今まで何をやっている時でも、どこかで不満を抱えていた。不満を抱えながら、家事をやり、仕事の合間合間で「あぁ〜・・」と憂いつづけていた。そのことが、全ての作業を鈍く手際を悪くさせていたんだと思う。実際初めてみたら、仕事には何の影響も、、少なくとも時間的な影響はないし、なんと家事まで気持ちがいい。そして、今一番気になっていることを書くだけなので、これまで、仕事の手前、あんな事が書けないとかこんな事が書けないとか思っていたことが、自分の中のあくまで端っこの話題であったことが分かった。結局は、書かなくていい言い訳を考えていただだけだったのかもしれない。

 

結局は、嫌われるのが恐いだけ。効力感を失いたくないだけだ。

こんな風に書いてきたから聞いたらビックリされるかもしれないが、今までもブログのようなものは実は小出しでやってきていた。見付からない(?)程度にだけど。。多分、結果書いたものだけを並べたら、実際差もないかもしれない。。でも、私個人はこのブログを長い目で見つめているし、このブログの奥行きが分かっているので軽くないのだが、実際に初めてみたら、まさに表現や時間の使い方としては、結局趣味の範囲(誰にも迷惑を掛けない)で収まった事に我ながら驚いている。

 

結局、最後に残ったのは、<嫌われるのが恐い>だけなんだろう。今書いていて自分でも訳が分からないが、<責任のある人間は好きなことをしてはいけないのだ>、そう自分に言っていたのだろう。追いつかない作業が色々あるのに、<好きなことをする時間をもってはいけないのだ>と。人に相談されれば、好きなことを出来る範囲ででも始めたらいいのに〜と、気軽に言うクセに。

 

効力感というのは、連れ合いを支える妻の役であったり、みんなを見守る母のような役目であったり、自分がそういう在り方という<型>に収まることで得られる、うま味であったり、安定感やポジションのこと。それを失いたくなかったのだろう。

 

今回、このブログを始める自分ことを、ざっくりと言うと「人でなし」だと思っていた私は、「人にどう思われてもいい!この自由な私が受け入れてもらえないなら、そっちを捨てる!」その位の覚悟を持たないと、始められなかったのだ。だから、崖の上からジャンプしたつもりだったのだが、飛んでみたら、結果1mくらいしか高さがなかった。。お恥ずかしい。。。

 

f:id:tomikotagawa:20170210124647j:plain

 

周りの人たちに感謝しかない

「登美子は飛べる!(笑)」ここ2~3年でいよいよ我慢ができずモヤモヤと相談するものの、勇気が出ない私を、周りの人たちが時折応援してくれた。。たかだかこの程度のことだったことを、分かっていた人もいただろうし、、、いやきっとみんなは分かってたんだろうな。。。仕事で人の出入りがあって、それぞれが納得いく形に切り替わっていったのにも、結果的には背中を押してもらった。一人が動けば周りも動く〜、、私も誰かにきっと影響を与えるのかもしれないが、そのことで不安になるのはやめよう。自分の自由さを受け入れることは、他人の自由さを受け入れることなのだ。。

 

・・・というか、人のことを認めるのは比較的楽だが、自分の自由を、自由な人生を認めるのは一大事だ。

 

やっぱり、結局大きかったのは子育て

今回の決意をする流れの前後で唯一同じだったことは、子育てが一段落したから出来る〜という気持ちだった。子どもを持つママたち、ママのように子育てに参加しているパパや家族は、本当に自由な時間を持つのが、とても大変だ〜それが現実だと思う。我が家の次男がこの春高校生。だから、えいやっ!と出来たタイミングであったというのは現実だと思う。

ママたち、子育てに参加しているパパたち、本当に大変だよね。でもいつかは大奮闘の季節は終わるから、がんばってくださいね。

 

自分を満足させて“緊箍児”を外す

時には、やはり何かを捨ててでも飛ぶ勇気が必要なんだろう。ここまで長かった。悶々としつづけるエネルギーを考えたら、さっさっとやってしまった方がどれだけ楽だっただろうか。今さら後の祭りだけど。状況のせいで書きたいことが書けなかった訳ではなく、結局自分を満足させてやれなかったから、自分に見えない制限をかけてきたのだろう。孫悟空の 頭の輪〜「緊箍児」(きんこじ)を、ずっと自分でつけて、自分で頭をキリキリとさせていたにすぎなかったんだと思う。

 

第三者の目でこんな今の自分をみると、大げさな・・・という感想でしかない。でも、私はとてもがんばったんだ。飛んだんだ!低い段差だったけど、、すごく勇気を出したんだ!

そして、応援してくださった方たち、本当にありがとうございました。次何かあったら、私が「お前は飛べる!」と崖の上から背中を押します、、いや、応援します♪

 

f:id:tomikotagawa:20170210112035j:plain

〜この想い、あなたにも届くといいな。

思い出は、今の私と共にある。

f:id:tomikotagawa:20170209095201j:plain

 

仏壇付の家を借りて住む

我が家には仏壇がある。しかも、我が家のものではない仏壇。我が家は東京の端っこで、100年以上経つ、熊鹿でるような山の中の古民家をお借りしてもう8年いるのだが、公に貸すつもりのなかった大家さんを、不動産屋さん(の個人的な友人のために)が大家さんをくどいて貸してもらえる事になった経緯らしく、その賃貸条件がなんと<仏壇付>だったのだ。人によっては抵抗があるのだろうが、私は実家に仏壇がなかったせいか捉え方が自由であまり気にならなかった(神棚もあるよ)。この家は、大家さんのお母さんの方のご実家なのだが、そのお母さんが昨年急に亡くなられた。

それまでも時折思い立っては、風を入れるために仏壇を開けて掃除をしてお水やお菓子を供えてご先祖様に手を合わせてお礼を言ってきたが、大家さんから頼まれた訳でなく、やりたくてやっていただけだ。お盆の時には、お母さんが生菓子とお花を供えにきたが、私の<仏壇付>の仏壇との付き合いは、その程度であった。

でも、このお家で生まれたそのお母さんが亡くなったのだ。私の中では、全くもって当たり前に、その日から仏壇を開けたままにして、お花をいけて、お水をかえ、お菓子や果物の交換して、お線香をあげて、手を合わせるという日々がふいとスタートした。たまに出来ない日以外は。

そして、これは内緒?(笑)でもないが、この仏壇にはお母さんのご親族以外に仲間が増えている。いや、勝手に増やしたのだ。不謹慎だと驚かれる方もあるだろうが、仏壇の前にちょっと置かせていただいているのだが、ここ数年で亡くなった知人の分骨された小さなお骨が2人分。・・・大丈夫、この家も、このご先祖様たちも亡くなってまでそんなケチくさく事は言わないし、楽しくやってくれていると疑っていない。自由な私のことを笑ってると思う。

 

*だいたい手を合わせて、こんな風に祈ってる。大公開〜!(部分的に仮名)

 

「お母さん、そちらはどうですか?田村家のみなさま、いつもお世話になります。今日もお家使わせていただいてありがとうございます。庄司さん(少しの分骨されたお骨がある)もそっちはどう?楽しくやってますか?ナナオ(少しの分骨されたお骨がある)お母さんと庄司さんのことよろしくね。たかみっちゃん(中学の時の少しだけしってる同級生で大学のとき交通事故に巻き込まれて亡くなったらしい男の子)、高田さん(子の保育園のときのママ友で病気でなくなった方)今日も見守っていてね。おばあちゃん(母の方)、おばあちゃん(父の方)、(会ったことのない)おじいちゃんたち、今日も一生懸命がんばります。先に亡くなったみなさん、いつもありがとうございます。」

 

f:id:tomikotagawa:20170209083648j:plain

 

思い出は、今の私と共にある。

だいたいこんな調子である。お年寄りが手を合わせる時間が長いのが納得だ。大事な家族や友だちに先立たれたら、こうやってどんどん長くなるんだろうと思う。

そして、今日、仕事でお世話になっていた方がつい先日お若くして病気で亡くなられたのを知った。その方に元気を出していただきたくて贈るつもりのプレゼントを仕事仲間と送る準備している間に気付いて、とても悲しい気持ちで今いる。贈るプレゼントのひとつが、ラクダの人形だった。「ゆっくり休んでくださいね〜。またお会いできるのを楽しみにしてま〜す!」そんな気持ちがこもっていた。

そして、また仏壇前の仲間が増えてしまった。ラクダ。。

〜マミさん、天国はどうですか?本当に寂しいですよ。。。きれいなお花畑があるのかなぁ〜?ゆったりお過ごしくださいね。天国から彼を見守ってくださいね。私たちもがんばります。〜(本当はまだそんな風にさっぱり思えてなく、哀しみを味わっている所なのですが)

 

私たちは自分の思い出のフィルターを通してしか、出来事を見られない。

 一つのもの、一つの景色。なんとなく見ているそれぞれは、情報としては同じものであったとしても、自分への取り込み方は人の数分あるはずだ。私たちは自分の思い出のフィルターを通してしか、出来事を見られない。それに励まされ、愛おしくもなる。逆に、ぼ〜〜っと感じた後に流れに任せていると、関係ないところで変な思い込みや癖が発動し、一人勝手なストーリーが頭で展開されて「あいつは、また!」などと怒ったり勘違いしてしまったりするものだ。

・・・私の中の、人が亡くなった思い出が、悲しいけれど、優しいものであることに、感謝している。亡くなったお一人お一人のお人柄のお陰。みんなありがとうございます。そうして今日も朝仏壇の前で手を合わせて、一日が始まるのだった。

 

f:id:tomikotagawa:20170210112035j:plain

〜この想い、あたなにも届くといいな。

 

 

 

ブログ始めます。この想い、あなたにも届くといいな。

f:id:tomikotagawa:20170205194251j:plain

 
もうすぐ48才。昨年、一昨年くらいから、人生の残りの量感がつかめてきた気がしている。ここまでと同じ量を今から生きられそうもない感じ。単純なる老化もそうだけど、自分の気配が自然に融けこみ始めた感じがしてる。

 

後悔するくらいなら、自分にやれることをやりなさい

 

去年の夏、大人的おこずかいをもって、マーニーさんという女性に会いに、都内のひっそりとしたマンションの一室にいった。ある憧れている知り合いの女性のSNSの投稿でマーニーさんのオリジナルの星読み的な個人セッションの情報を知ったとき、自分の誕生日プレゼントにという気持ちもあって、会いにいこうとすぐ決めた。私の母より少しお若いくらいの先輩だ。

 
特に個人的に聞いてほしい悩みや観て欲しいことが、あった訳ではない。ただ、その方にお会いしてお人柄に触れたかったのと、見えない世界を見る人に、自分がどういう事を言うのか?にも興味があって、心が空っぽの何もないままワクワクして伺った。・・・で、私はその時間の間ほとんど一つの事を言っていた。ずっと。時に涙ぐみながら。「平和な世の中になってほしいんです。本当に、不安でこわいんです。子どもたちのことが心配なんです。自分の子だけじゃない、子どもたちみんなが。」
 
こんな私がそこにはいた。私は、多分もともと最初っから、恐がりなんだと思う。志が高い訳でもない。恐がりで想像力豊かなだけだ。こんな事を懇願する私のことを、普段外に向けて、自分が思うように出し切れないで来ていた。みんなの手前。仕事の手前。(と、私が一人勝手に決めていただけです)これまで小出し小出しでなんとかやってきたけれど、多分本気で振り切れることができていたなら、5年前にこのブログを始められただろうと思う。マーニーさんが言った。「もしこのまま何もしないで、本当に大変な時が来てしまったら、あなた自身が後悔するでしょう?後悔するくらいなら、どう見られるか?とか都合とか、そういう色んな不安を手放して、やれることをやる方がずっとマシでしょう?」
 
と(英語なので、そういった感じのことを)通訳さん経由で言われた。
 

人目を気にせず体当たりで書いた文章を人前に出すのは、すごく恐い

 

またその昔30代のころ、流れで職場の女の子に連れて行ってもらった集まりにいた、やっぱり見えないものを感じると自称するおじさんに、ふいと言われた一言。「あなたは大きな事にも、小さな事にも手がついてない。」

 
何故かその聞き流せそうな言葉が、心に残ったまま10年以上経ってしまった。私は自分が中途半端だと思っているからだろう。そして実際右往左往する人生だったんだとも思う。バカにもなれなきゃ、日々真面目にコツコツもできない。特別頭も良くなきゃ、破天荒さもない。それを、多くの人は心でそっと憧れても、現実的には飛び出た存在であることを望みもしないのだろうが、私はちょっぴりだけ望んでいたり・・というか誰かとの比較を気にするような目線で生きるのがちょっと息苦しいだけなんだけど、それも中途半端だ。ぐちゃぐちゃと10年いろいろ考えてきたが、結局、なんのことでも本気だったら尚更好きなやり方でしか出来ないし、続かないんだと思う。一大事なことも、くだらないことも。
 
世の中の平和を願っているというと、例えば社会活動家のみなさんに、あなたのやっている具体的な活動の実践&成果を求められそうになるが、私は自分の内側が平和であることから始めている。まぁそれしか出来そうもないからだけど。形として取りだしにくいだけで、すごく有効だと私自身は思っている。まずは自分から。“登美子”は、そういう風に社会と関わるのがうれしいし、そして社会にとっても効率的なのだと思っている。
 
だから、書くのが好きな私は、自由に人目を気にせず書こうと思う。人目を気にせず体当たりで書いた文章を人前に出すのは、すごく恐いが(くだらない事も多い予定だし〜笑)、ここまでの人生で感じてきたことは、もう吐くほど体に溜まっている。何を書いてもいいなら書ける。暮らしの中どんな事にも、私なりの“感じ“が詰まっている。また、人が感じるその“感じ“は、生きる上でとても役に立つ感覚であるとも思って勉強をはじめた。このまま放っておくと発酵が始まりそうだ。すっぱくなっちゃう!!
 

どんなときも、愛と平和を胸に抱いた、頼りない私がいる。

泣きたいときも、寂しいときも、不安なときも、だいたいの楽しいときも、小鳥のようにさえずるから、花咲くように語るから。
 
・・この想い、あなたにも届くといいな。
 
 

f:id:tomikotagawa:20170210112035j:plain

*お悩みメール待ってまーす!

気楽にメールお送りください。お返事として、あなたの名前は仮名で、いただいたお悩み解決の閃きになるような登美子節で投稿いたします♪

tomikoroom★gmail.com (★を@に変えてくださいね)

 

*お悩みメール待ってまーす! お返事として、あなたの名前は出さず、いただいたお悩み解決の閃きになるような内容を登美子節で投稿いたします♪ tomikoroom★gmail.com (★を@に変えてくださいね)