登美子の感じる世界

自分の中の“愛と平和”を育む奮闘日記。うんとこしょ♪

親の老後を心配する前にやりたいこと

f:id:tomikotagawa:20170213223401j:plain

 今、「老人 介護施設」のキーワードで検索して一番上に出てきたサイトで、我が家近くの住所で<介護付有料老人ホーム>を選んで料金を検索してみた。

 

入居時540万〜780万

月額18.14万円〜22.14万円

 

これは1人分なのだから、2人が入れば倍かかる。さて、これを我が家が支払えるか?と聞けば、支払えない。これから子どもの高校から大学への費用を負担することに、ドキドキしているような状況だ。

では、親が自分で支払えるか?といえば、どうしても!となれば、最悪持っているものを手放せば、なんとかなるのかもしれない。人それぞれだろうが、私の親(80才前後)の世代は戦後の復興世代で、夢のマイホーム志向。(というか当時うちの辺りにはアパートらしいアパートなかったな、、長屋があったか)、それを手放せば。。。いやでもどうだろう、、月額がこれだけかかるとなったら、長生き次第で、途中でお金がなくなったら急に出ていかないといけなくなるのだし・・・・それって、恐ろしい。。。お金のなくなった老人を野に放つのか。。。

 

親の老後を考える初心者の私

実は、昨日ちょっとした出来事があって、親の老後について、いよいよ現実的に考えを巡らす瞬間があった。少し不安を感じたことで、親の金銭的な事実確認はいったん置いておいて、兄弟で親のための貯金を小額でも始めようか、、なんて話しをしたりした。

うちの両親は父も80才半ばでも元気なのもあって、親の老後を考える人としては初心者の私。遅かりしデビューかもしれない。でも、早いところは70代、60代でだって、長期入院や介護、痴呆などで親のケアをしているご家族もたくさんあるだろう。うちは元気が故に、年金暮らしが始まって大分経つというのに、どうも子ども心から抜けきれないでいる私。呆れたものだ。

 

親も子も、愛情をかける→だから、お金をかける時もある。逆じゃない。

自分が今まさに塾の費用など、子どもにお金がかかるようになってきて、出費は馬鹿にならないが、お金の前に愛情があるからやっている。実際には、我が家の家計で可能な範囲で、愛情をかけているということなんだと思う。お金がなければ、塾にはいかせられないだろう。でも、無いならないで、参考書を買うなり、短期講習にだけ行くなり、可能な範囲でやるだろう。私立高校がむずかしければ、都立高校のランクを下げてでも受験するのだろう。それが、不幸か?といえば、子どもにとっては思い通りにならないことで辛いところだろうが、仕方がない〜以上でも以下でもないのだと思う。本当に大変なのは、思い通りにいかない上に、親の愛情がかけてもらえない子どもたちだ。勉強したい子なら尚更、それは困難でしかない。。。

子が親の老後の手伝いをするときも、愛情をかける→だから、お金がかかる時もある。冒頭に書いたような情報だけ見ると、お金がないと今のご時世随分不安な気持ちにさせられるが、結局子育てと同じなのだと思う。出来る範囲でやれることをやらせてもらう。でも、みんなにとって長い人生なのだから無理もできないし、協力しあって、できるだけ笑顔でいられることを優先して、生きていきたい。

そりゃぁ、何不自由なく老後を過ごしてもらう〜ことが、贅沢をしてもらうことなのだと思えば辛くもなるが、ごちゃごちゃしながらでも、みんなでワタワタ手をとりあって生きて行くのも悪くない。最後っくらい、すっとこどっこいでもいい。今もか?(о´∀`о)

それに、大変だとも限らない。うちのおばあちゃんたちは、家族と一緒にくらし、所謂ぽっくりと天国に行った。そして、一応言っておくが、施設に入ること=幸せなことだ〜と思ってはいない。人それぞれだし、それぞれの事情がある。

 

老後の親の心配をするなら、親との関係の構築が先

ともかく、愛情が先。これを押さえておくと、お金の不安が少し和らぐ。そういった意味で老後の親の心配をするならば、親との関係の構築が先。お互いもう頭がカチコチなら、いい意味で諦めも必要だろう。本当の意味で泣くのは、ここだろう。

 

f:id:tomikotagawa:20170213225451j:plain

異性の親のケア

現実的には、親の状況によっては、いろんなサポートで社会にささえてもらわなければ、やりきれないだろうし、痴呆症になって徘徊なども出てくれば、それこそ子どもの方が気が変になりそうになったりする時もあるだろう。子の方も年をとって自分の仕事や世話だけで一杯一杯なのに、その上にお金の心配があれば仕事だって親のためにも尚更やめる訳にもいかないし、笑ってばかりも、いさせてはもらえない。

最近は介護や痴呆症を扱った映画も多い。歌手のさだまさしさんの書かれた短編で『サクラサク』という介護と家族再生の映画を観たことがあるが、急に痴呆になってしまった同居の義理のお父さんがトイレを失敗したときの対応にお嫁さんが発狂してしまうシーンには、現実を考えてうなってしまった。ラストは爽やかなので、良かったらご覧ください。

また、自宅に訪問介護のヘルパーさんをやっていた友だちがいるが、話しを聞けば壮絶なお家も多く、面食らってしまう。息子と母の二人暮らし。そのお宅に最初に伺った日のこと、息子は二階で顔も出さず手も出さずいるそうで挨拶にも来ない。痴呆の母は1階に住まうのだが、トイレが一人で出来ないらしく、、もうね、ご想像の通りの惨状で。。。本当に難しい。

 

特にもっとも難しいのが、異性の親。難関は、異性の義理の親のケア。仲がよければ、それでもなんとかするのだろうけど…。

 

中国の智恵に納得!

一人っ子政策前の中国での親の老後のケアの仕方について、中国人の方に直接聞いたことがある。なんと、中国では、長男の家に親が住まうのではなく、長女の家に親が住まうそうだ。だから、老後の世話が必要になっても、メンタル的にはまだしも楽なんだそうで。。でも、今は子どもが減ってしまったので、男の子しかいないお家は、やっぱりお嫁さんがお世話をすることになって、問題になっていると、5年前くらいに聞いた。心の底から納得だ。

日本は今は一人っ子が多いから、そういった意味でもこれから大変だ・・今自分の身になってみると、兄弟がいて同じ目線で相談できる相手がいるだけでも、本当に有り難い。

 

今より電話の回数を増やそう♪

そんな過酷さも待っているかもしれないが、自分自身が老人で70過ぎたら、クヨクヨしてても仕方ないと思う。それを分かっているのかうちの両親は、電話で話すとき、どちらかが電話に出ているその後ろで、もう一人がゲラゲラ笑ってる。私がおもしろいのか、楽しいのか、なんだかよくは分からないが、素敵なことだ。

我が子もあと25年くらいしたら、弱った私をみて、そろそろ親を世話する側に俺もなったのか・・と思うのだろう。お互いに負担にならないように、"健康第一"でいくしかないだろう。心の健康もね。

 

親からもらった愛情ほどに親にやってあげられないかもしれないが、お金の不安でなく、まずは愛情だと心に置いて、今できることから始めよう。そうね、、今より電話の回数を増やそうと思う。ちょっとしたプレゼントをこれからも贈ろうと思う。まだまだお互いに愛情をかけあえる、だって、、まだ生きているのだから。。
 

f:id:tomikotagawa:20170210112035j:plain

この想い、あなたにも届くといいな。

 

「ごめんなさい」を言わないルール

あなたの知り合いで、「ごめんなさい。」を言えない人、もしくは、言わない人いませんか?

f:id:tomikotagawa:20170212020021j:plain

 

私はモンスタークレイマーなのか?

先日携帯が突然シャットダウン。充電ができなくなったかと思いきや大丈夫になったり、気まぐれに動き出したりということで、携帯電話会社のお店の窓口にいきました。結局、有料補償で別の携帯と交換してもらったのだけど、その携帯が初期不良という代物で、相談した電話のサービスセンターの女性に勧められて、4回目の窓口にいった時のこと・・・

「もう携帯なんて、、」とブツブツ心の中で言いたくなるような気持ちで行った、その4回目の窓口の若い女性スタッフが、「ごめんなさい。」の一言がない。。。それ以前に、業務進行以外の余計な言葉を言わない。正直、教育が行き届いているなぁ、、、と感心した。

でも仕方がないのだろう。窓口では普通に充電できてしまったのだ。(家でも出来たり出来なかったり)窓口にいる時間の中で、分かってもらうためにもっと乱調な動きを見せたかったのだけど順調そうに充電が進んでしまい、残念ながら説得力にかける状況に陥ってしまった(ちなみに、自宅の充電器は正規品の新品を前回購入済み)。ただの嫌がらせの脅しと受け取れなくもない。はぁ〜〜。。。携帯も窓口ではシャンとしないと!と、がんばったのか。。。

私は、自分が翻弄されて疲れた気持ちをなんとなく共感してもらえるような、普通のやり取りを望んでいたのだが、業務進行以外の言葉を発しない。。。<何も言わない作戦>か。。

 

人らしい言葉が聞きたい。。。

 

「カーン!登美子#菩活入りまーす!」

(#菩活:菩薩様のような慈愛を、暮らしの中で育む活動・・笑、ほんとか?)

小さく心の中でゴングが鳴った。

普段から携帯窓口の方の仕事の大変さは、自分で選んだだろうお仕事とは言え、過酷すぎるなぁと思ってきた。顧客の気持ちを優先するなら、携帯会社各社で協力して、もっと簡潔さを優先していただけないものだろうか?と。

この<何も言わない作戦>は、経験値が浅いスタッフでも、もめ事に巻き込まれにくいやり方で賢いから、色んな人と対面する業種できっと多く採用されているのだろう。大きい会社というのは、こういう事をルールに洗練していってこそ、大きくもなれるのだろう。。・・がっ!この田舎の携帯会社の窓口に座る彼女らはロボットでもなければ、私はこんなに生々しい人間です。

 

表を見よっ!この外に広がる畑の景色を!!この景色とこの対応との温度差といったら、もう(大笑)!

 

f:id:tomikotagawa:20170212184913j:plain

 

私の目的はなんなんだ?を、検証した

 

その1:癒しの一言がほしかった→結果:×

謝れる状況でなければ、「大変でしたね。今はっきり出来るといいのですが。」とか小声でライトに共感してもらえれば、それで飲めたと思う。失敗したけど、、なんとか目の前の女性の心の天の岩戸を開けて、なんでもいいから、私の状況や気持ちに寄り添ってほしい。(私、いけない大人、、いやただのクレイマーなのかね。。。)っていうか、携帯さんよ、、いつもの通りに急にシャットダウンしてみせておくれよ、、。

 

その2:変わりにサービスで私の心を支えておくれ!→結果:△

意見を聞いてほしい&それを上に上げてほしいという希望が自分にあることに気付いたので、

「ちゃんと初期不良だとはっきり出来たときには、そのせいで、時間と労力をかけたのだから、ポイントがもらえるとか、今後何かしらそういうサービスをしてもらえるようなルールを設けてもらえたら救われるのだけど。そう○○さん(名札の名前)からも上に報告してほしいです。」

と、具体的な提案を言ったら、やっと彼女の表情がゆるんで

窓「そうですね!伝えます!」と言ってくれた。

彼女がルールの中で、反応できる範囲のオーダーだったようだ。

当たり前だけど、私はこの場で携帯会社の接客ルールや、対応の方針を変えられると思わないので、伝えたことで一つ○だし、彼女とコミュニケーションが成り立ったので○だけど、、、当たり前だけど、気が収まらないので、△。

 

その3:人と人として接客してほしい→その結果は、、

その後も淡々と手続きが進んでいった。3日前にやった手続きとまるで同じことをもう一回やっている。また今度交換した携帯も初期不良だったときに、私がいくら負担することになるのか?など確認していたら、疲弊するような内容で、「私、悪くないのに。。」という気持ちで、再度落ち込んできてしまった。

 

でも、私、負けない!彼女は窓口のスタッフたる前に人間だ〜!(笑)

 

設定が終わってしまう。。。#菩活虚しく、もうお終いか、、もうお終いなのか?、、、全部敗北で、世の中の空しさと、自分の運の悪さを感じながら、もしかしてまた初期不良かもしれない心許ない携帯を私はもって帰るだけなのか、、そして、またアプリとか全部設定しなおすのか、、YO〜YO~。。

 

彼女はルールに従って私への対応ができた。お客さんである私をなんとか怒らせないで作業の全てが終えられた。そういう意味でとても立派だった。最後に彼女は、携帯を手渡された私を向いて立ち上がり、ちょっと緊張した表情でペコリとお辞儀。そんな彼女に、去り際に私は微笑んで言った。

 

私「お仕事大変だと思いますが、がんばってくださいね!」

 

窓「・・・はいっ!ありがとうございます!」

 

あぁ〜〜<・・・>この時の彼女の表情の移り変わりの臨場感を伝えきれなくて残念だが、まぁ、ぎりぎり○としましょう!!ぎりぎりだけど○!

 

でも、○をあげたのは、“自分”にです。結果でなく、自分に○。

 

彼女のルール内でのがんばりにほだされただけかもしれないが(大笑)、何がよかったって、私の気持ちが、それを言ったことで爽やかになったことが一番。そして、彼女にとって、なんとか穏便に済ませたいお客さんである私から、人である私になれたこと。

 

・・その後、あやしい私からのサービス改善の提案を伝えてもらえたのかどうか?あの初期不良の携帯をちゃんと疑ってちゃんとメンテしてもらえたのか?分からないが、、私は自分なりに精一杯やった。今できることはやれたのだ。。。

 

f:id:tomikotagawa:20170212185311j:plain

 

懲りない大人の私。

私の言ってほしかった共感の一言は、それを言う人自身を否定したり責める証拠の言葉にしたい訳でもなければ、へりくだったり、私を上に持ち上げてほしい訳でもない。そうなってしまった経緯に巻き込まれた私の心と体の疲れにたいして、手を当ててほしいだけのことだった。

 

でも、素直な「ごめんなさい」につけ込む人が多いのも事実なんだろう。

 

気軽に「すみません」と「ごめんなさい」を言うのを否定する意見も結構目にする。実際、日常生活の中でも、だんまりしてやり過ごそうとしたりする人も多いし、「あの人がこうだから〜」などと上手く自分のせいにしないように言い回すのが上手な人もいるが、その場の空気は一瞬その人の都合よく動かせたように見えても、対面している人の心までやり過ごせる訳がない。ちゃんと失敗したときには、謝れる大人でいたいなぁ。気心知れた人になればなるほど難しかったりするから、私も注意しないとな。。。

 

色んな業種で、ロボット化をどう進めるのか?が話題になっているようだが、たとえ不安定でぎこちなくても、お互いの気持ちを感じあうことの喜びを手放したなら、ロボット化は気兼ねなく進むだろう。危ないことや大変なこと以外は、私は手放したくないから簡易な仕事でもロボットでなく、色んな事情で簡易な仕事しか出来ない人にやってもらったらいいと思う。

一方、実際学校でも見るモンスターペアレンツ。多くの人に対面する仕事では、スタッフを守るためにも、ルールも必要なんだろう。対応が個性豊かでは問題があちこち勃発するしね。この世の中、特に接客業では、気楽に「ごめんなさい。」も言えないのかもしれない。。

でーもー、私はそんな寂しい世の中嫌なんです。だから、体力気力が続くうちは、懲りない大人でいます。

さてさて、それにしても、この携帯、、またもや初期不良になったら、次はどんな展開になってしまうのでしょうか?と、ドキドキしましたが、今の所大丈夫そうで、ほっとしています。また、何かあったら、またご報告いたしましょうね。

 

f:id:tomikotagawa:20170210112035j:plain

 

この想い、あたなにも届くといいな。

結局は、嫌われるのが恐いだけ。

ブログを読んでくださり、ありがとうございます。

ブログを書き出して3日目です。たった2日しか書いておらず、なにも偉そうなことは言えないのですが、朝6時に起きて、ぎりぎりの7時までこうして書いています。書けなかったら、夜か翌日に回す、そうしてどんどん続けていこうと思っています。

f:id:tomikotagawa:20170210125057j:plain

 

幸福感がすごい

 とっても今幸せです。たかがブログなのですが、好きに書いていい〜というだけのことなのに、今までどれだけ自分を縛ってきたのだろう・・と驚いています。そして、家事や仕事もやる気というかとてもはかどることにも、ビックリしています。

今まで何をやっている時でも、どこかで不満を抱えていた。不満を抱えながら、家事をやり、仕事の合間合間で「あぁ〜・・」と憂いつづけていた。そのことが、全ての作業を鈍く手際を悪くさせていたんだと思う。実際初めてみたら、仕事には何の影響も、、少なくとも時間的な影響はないし、なんと家事まで気持ちがいい。そして、今一番気になっていることを書くだけなので、これまで、仕事の手前、あんな事が書けないとかこんな事が書けないとか思っていたことが、自分の中のあくまで端っこの話題であったことが分かった。結局は、書かなくていい言い訳を考えていただだけだったのかもしれない。

 

結局は、嫌われるのが恐いだけ。効力感を失いたくないだけだ。

こんな風に書いてきたから聞いたらビックリされるかもしれないが、今までもブログのようなものは実は小出しでやってきていた。見付からない(?)程度にだけど。。多分、結果書いたものだけを並べたら、実際差もないかもしれない。。でも、私個人はこのブログを長い目で見つめているし、このブログの奥行きが分かっているので軽くないのだが、実際に初めてみたら、まさに表現や時間の使い方としては、結局趣味の範囲(誰にも迷惑を掛けない)で収まった事に我ながら驚いている。

 

結局、最後に残ったのは、<嫌われるのが恐い>だけなんだろう。今書いていて自分でも訳が分からないが、<責任のある人間は好きなことをしてはいけないのだ>、そう自分に言っていたのだろう。追いつかない作業が色々あるのに、<好きなことをする時間をもってはいけないのだ>と。人に相談されれば、好きなことを出来る範囲ででも始めたらいいのに〜と、気軽に言うクセに。

 

効力感というのは、連れ合いを支える妻の役であったり、みんなを見守る母のような役目であったり、自分がそういう在り方という<型>に収まることで得られる、うま味であったり、安定感やポジションのこと。それを失いたくなかったのだろう。

 

今回、このブログを始める自分ことを、ざっくりと言うと「人でなし」だと思っていた私は、「人にどう思われてもいい!この自由な私が受け入れてもらえないなら、そっちを捨てる!」その位の覚悟を持たないと、始められなかったのだ。だから、崖の上からジャンプしたつもりだったのだが、飛んでみたら、結果1mくらいしか高さがなかった。。お恥ずかしい。。。

 

f:id:tomikotagawa:20170210124647j:plain

 

周りの人たちに感謝しかない

「登美子は飛べる!(笑)」ここ2~3年でいよいよ我慢ができずモヤモヤと相談するものの、勇気が出ない私を、周りの人たちが時折応援してくれた。。たかだかこの程度のことだったことを、分かっていた人もいただろうし、、、いやきっとみんなは分かってたんだろうな。。。仕事で人の出入りがあって、それぞれが納得いく形に切り替わっていったのにも、結果的には背中を押してもらった。一人が動けば周りも動く〜、、私も誰かにきっと影響を与えるのかもしれないが、そのことで不安になるのはやめよう。自分の自由さを受け入れることは、他人の自由さを受け入れることなのだ。。

 

・・・というか、人のことを認めるのは比較的楽だが、自分の自由を、自由な人生を認めるのは一大事だ。

 

やっぱり、結局大きかったのは子育て

今回の決意をする流れの前後で唯一同じだったことは、子育てが一段落したから出来る〜という気持ちだった。子どもを持つママたち、ママのように子育てに参加しているパパや家族は、本当に自由な時間を持つのが、とても大変だ〜それが現実だと思う。我が家の次男がこの春高校生。だから、えいやっ!と出来たタイミングであったというのは現実だと思う。

ママたち、子育てに参加しているパパたち、本当に大変だよね。でもいつかは大奮闘の季節は終わるから、がんばってくださいね。

 

自分を満足させて“緊箍児”を外す

時には、やはり何かを捨ててでも飛ぶ勇気が必要なんだろう。ここまで長かった。悶々としつづけるエネルギーを考えたら、さっさっとやってしまった方がどれだけ楽だっただろうか。今さら後の祭りだけど。状況のせいで書きたいことが書けなかった訳ではなく、結局自分を満足させてやれなかったから、自分に見えない制限をかけてきたのだろう。孫悟空の 頭の輪〜「緊箍児」(きんこじ)を、ずっと自分でつけて、自分で頭をキリキリとさせていたにすぎなかったんだと思う。

 

第三者の目でこんな今の自分をみると、大げさな・・・という感想でしかない。でも、私はとてもがんばったんだ。飛んだんだ!低い段差だったけど、、すごく勇気を出したんだ!

そして、応援してくださった方たち、本当にありがとうございました。次何かあったら、私が「お前は飛べる!」と崖の上から背中を押します、、いや、応援します♪

 

f:id:tomikotagawa:20170210112035j:plain

〜この想い、あなたにも届くといいな。

思い出は、今の私と共にある。

f:id:tomikotagawa:20170209095201j:plain

 

仏壇付の家を借りて住む

我が家には仏壇がある。しかも、我が家のものではない仏壇。我が家は東京の端っこで、100年以上経つ、熊鹿でるような山の中の古民家をお借りしてもう8年いるのだが、公に貸すつもりのなかった大家さんを、不動産屋さん(の個人的な友人のために)が大家さんをくどいて貸してもらえる事になった経緯らしく、その賃貸条件がなんと<仏壇付>だったのだ。人によっては抵抗があるのだろうが、私は実家に仏壇がなかったせいか捉え方が自由であまり気にならなかった(神棚もあるよ)。この家は、大家さんのお母さんの方のご実家なのだが、そのお母さんが昨年急に亡くなられた。

それまでも時折思い立っては、風を入れるために仏壇を開けて掃除をしてお水やお菓子を供えてご先祖様に手を合わせてお礼を言ってきたが、大家さんから頼まれた訳でなく、やりたくてやっていただけだ。お盆の時には、お母さんが生菓子とお花を供えにきたが、私の<仏壇付>の仏壇との付き合いは、その程度であった。

でも、このお家で生まれたそのお母さんが亡くなったのだ。私の中では、全くもって当たり前に、その日から仏壇を開けたままにして、お花をいけて、お水をかえ、お菓子や果物の交換して、お線香をあげて、手を合わせるという日々がふいとスタートした。たまに出来ない日以外は。

そして、これは内緒?(笑)でもないが、この仏壇にはお母さんのご親族以外に仲間が増えている。いや、勝手に増やしたのだ。不謹慎だと驚かれる方もあるだろうが、仏壇の前にちょっと置かせていただいているのだが、ここ数年で亡くなった知人の分骨された小さなお骨が2人分。・・・大丈夫、この家も、このご先祖様たちも亡くなってまでそんなケチくさく事は言わないし、楽しくやってくれていると疑っていない。自由な私のことを笑ってると思う。

 

*だいたい手を合わせて、こんな風に祈ってる。大公開〜!(部分的に仮名)

 

「お母さん、そちらはどうですか?田村家のみなさま、いつもお世話になります。今日もお家使わせていただいてありがとうございます。庄司さん(少しの分骨されたお骨がある)もそっちはどう?楽しくやってますか?ナナオ(少しの分骨されたお骨がある)お母さんと庄司さんのことよろしくね。たかみっちゃん(中学の時の少しだけしってる同級生で大学のとき交通事故に巻き込まれて亡くなったらしい男の子)、高田さん(子の保育園のときのママ友で病気でなくなった方)今日も見守っていてね。おばあちゃん(母の方)、おばあちゃん(父の方)、(会ったことのない)おじいちゃんたち、今日も一生懸命がんばります。先に亡くなったみなさん、いつもありがとうございます。」

 

f:id:tomikotagawa:20170209083648j:plain

 

思い出は、今の私と共にある。

だいたいこんな調子である。お年寄りが手を合わせる時間が長いのが納得だ。大事な家族や友だちに先立たれたら、こうやってどんどん長くなるんだろうと思う。

そして、今日、仕事でお世話になっていた方がつい先日お若くして病気で亡くなられたのを知った。その方に元気を出していただきたくて贈るつもりのプレゼントを仕事仲間と送る準備している間に気付いて、とても悲しい気持ちで今いる。贈るプレゼントのひとつが、ラクダの人形だった。「ゆっくり休んでくださいね〜。またお会いできるのを楽しみにしてま〜す!」そんな気持ちがこもっていた。

そして、また仏壇前の仲間が増えてしまった。ラクダ。。

〜マミさん、天国はどうですか?本当に寂しいですよ。。。きれいなお花畑があるのかなぁ〜?ゆったりお過ごしくださいね。天国から彼を見守ってくださいね。私たちもがんばります。〜(本当はまだそんな風にさっぱり思えてなく、哀しみを味わっている所なのですが)

 

私たちは自分の思い出のフィルターを通してしか、出来事を見られない。

 一つのもの、一つの景色。なんとなく見ているそれぞれは、情報としては同じものであったとしても、自分への取り込み方は人の数分あるはずだ。私たちは自分の思い出のフィルターを通してしか、出来事を見られない。それに励まされ、愛おしくもなる。逆に、ぼ〜〜っと感じた後に流れに任せていると、関係ないところで変な思い込みや癖が発動し、一人勝手なストーリーが頭で展開されて「あいつは、また!」などと怒ったり勘違いしてしまったりするものだ。

・・・私の中の、人が亡くなった思い出が、悲しいけれど、優しいものであることに、感謝している。亡くなったお一人お一人のお人柄のお陰。みんなありがとうございます。そうして今日も朝仏壇の前で手を合わせて、一日が始まるのだった。

 

f:id:tomikotagawa:20170210112035j:plain

〜この想い、あたなにも届くといいな。

 

 

 

ブログ始めます。この想い、あなたにも届くといいな。

f:id:tomikotagawa:20170205194251j:plain

 
もうすぐ48才。昨年、一昨年くらいから、人生の残りの量感がつかめてきた気がしている。ここまでと同じ量を今から生きられそうもない感じ。単純なる老化もそうだけど、自分の気配が自然に融けこみ始めた感じがしてる。

 

後悔するくらいなら、自分にやれることをやりなさい

 

去年の夏、大人的おこずかいをもって、マーニーさんという女性に会いに、都内のひっそりとしたマンションの一室にいった。ある憧れている知り合いの女性のSNSの投稿でマーニーさんのオリジナルの星読み的な個人セッションの情報を知ったとき、自分の誕生日プレゼントにという気持ちもあって、会いにいこうとすぐ決めた。私の母より少しお若いくらいの先輩だ。

 
特に個人的に聞いてほしい悩みや観て欲しいことが、あった訳ではない。ただ、その方にお会いしてお人柄に触れたかったのと、見えない世界を見る人に、自分がどういう事を言うのか?にも興味があって、心が空っぽの何もないままワクワクして伺った。・・・で、私はその時間の間ほとんど一つの事を言っていた。ずっと。時に涙ぐみながら。「平和な世の中になってほしいんです。本当に、不安でこわいんです。子どもたちのことが心配なんです。自分の子だけじゃない、子どもたちみんなが。」
 
こんな私がそこにはいた。私は、多分もともと最初っから、恐がりなんだと思う。志が高い訳でもない。恐がりで想像力豊かなだけだ。こんな事を懇願する私のことを、普段外に向けて、自分が思うように出し切れないで来ていた。みんなの手前。仕事の手前。(と、私が一人勝手に決めていただけです)これまで小出し小出しでなんとかやってきたけれど、多分本気で振り切れることができていたなら、5年前にこのブログを始められただろうと思う。マーニーさんが言った。「もしこのまま何もしないで、本当に大変な時が来てしまったら、あなた自身が後悔するでしょう?後悔するくらいなら、どう見られるか?とか都合とか、そういう色んな不安を手放して、やれることをやる方がずっとマシでしょう?」
 
と(英語なので、そういった感じのことを)通訳さん経由で言われた。
 

人目を気にせず体当たりで書いた文章を人前に出すのは、すごく恐い

 

またその昔30代のころ、流れで職場の女の子に連れて行ってもらった集まりにいた、やっぱり見えないものを感じると自称するおじさんに、ふいと言われた一言。「あなたは大きな事にも、小さな事にも手がついてない。」

 
何故かその聞き流せそうな言葉が、心に残ったまま10年以上経ってしまった。私は自分が中途半端だと思っているからだろう。そして実際右往左往する人生だったんだとも思う。バカにもなれなきゃ、日々真面目にコツコツもできない。特別頭も良くなきゃ、破天荒さもない。それを、多くの人は心でそっと憧れても、現実的には飛び出た存在であることを望みもしないのだろうが、私はちょっぴりだけ望んでいたり・・というか誰かとの比較を気にするような目線で生きるのがちょっと息苦しいだけなんだけど、それも中途半端だ。ぐちゃぐちゃと10年いろいろ考えてきたが、結局、なんのことでも本気だったら尚更好きなやり方でしか出来ないし、続かないんだと思う。一大事なことも、くだらないことも。
 
世の中の平和を願っているというと、例えば社会活動家のみなさんに、あなたのやっている具体的な活動の実践&成果を求められそうになるが、私は自分の内側が平和であることから始めている。まぁそれしか出来そうもないからだけど。形として取りだしにくいだけで、すごく有効だと私自身は思っている。まずは自分から。“登美子”は、そういう風に社会と関わるのがうれしいし、そして社会にとっても効率的なのだと思っている。
 
だから、書くのが好きな私は、自由に人目を気にせず書こうと思う。人目を気にせず体当たりで書いた文章を人前に出すのは、すごく恐いが(くだらない事も多い予定だし〜笑)、ここまでの人生で感じてきたことは、もう吐くほど体に溜まっている。何を書いてもいいなら書ける。暮らしの中どんな事にも、私なりの“感じ“が詰まっている。また、人が感じるその“感じ“は、生きる上でとても役に立つ感覚であるとも思って勉強をはじめた。このまま放っておくと発酵が始まりそうだ。すっぱくなっちゃう!!
 

どんなときも、愛と平和を胸に抱いた、頼りない私がいる。

泣きたいときも、寂しいときも、不安なときも、だいたいの楽しいときも、小鳥のようにさえずるから、花咲くように語るから。
 
・・この想い、あなたにも届くといいな。
 
 

f:id:tomikotagawa:20170210112035j:plain

*お悩みメール待ってまーす!

気楽にメールお送りください。お返事として、あなたの名前は仮名で、いただいたお悩み解決の閃きになるような登美子節で投稿いたします♪

tomikoroom★gmail.com (★を@に変えてくださいね)

 

*お悩みメール待ってまーす! お返事として、あなたの名前は出さず、いただいたお悩み解決の閃きになるような内容を登美子節で投稿いたします♪ tomikoroom★gmail.com (★を@に変えてくださいね)