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登美子の感じる世界

自分の中の“愛と平和”を育む奮闘日記。うんとこしょ♪

てんやわんやで平和な自分を育てる

生き方

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あれれ?

 

ブログを意気揚々とスタートして、もしかしたらある程度の人が陥ることなのかもしれないんだけど、書けなくなってしまった。あっさりと。確かに、忙しすぎてゆっくり考える時間はない、こんな時は寝る方が大事、、うん、それも確か。ただ、書くことはある。書きかけは10個以上ある。書きたいこともある。でも、書き上がらない。

認めてほしい〜とかなくはないが、まだ自由に書きたいことを書けることの喜びの方が大きい。すごいのを書くつもりもない。私なりのを書きたいだけだ。

 

なのに、、

 

何故だろう?

 

もしかして、、、もしかして、、!!!

 

ちょっとどきどきしてるけど、、もしかして、、「自由でいいんだ!」と分かったことが最も重要な事だったんじゃないのか?

 

、、、、きゃぁ〜〜〜!!!

 

 

本来の私はもっとゆったりした人(笑〜もっとです!)

 

だいたい私は、本来、そんな大上段から何か言いたい人なのか?と思う。人前に立つのは苦手じゃない方なんだろうけど(上手かどうかは別ね、別)、一人だけ偉そうに何か言うのに興味がもてない。。あくまで輪の中で、一人の意見として、言いたいだけ。自信の有る無い・・とかじゃなくて、経験して分かったことも理解の深さも年の差も、あくまで役割や段階だと思ってるだけだから。若くて未経験だって、私より立派な人はたくさんいる。

 

先日、ちょうどそんな事を考えされられることがあった。

 

年下の女性の友人(“女友だち”って言うにはお世話になっていてご縁が深すぎる)がいるのだけど、この画像を送ってくれた。沖縄の波照間島で撮影して送ってくれた。漫画『タッチ』のみなみちゃんだ。この砂浜の砂がかかり太陽で褪せた、島の誰かがその昔むかしに手描きしただろうこのみなみちゃんに、「若き日の登美子の幻影を見た」・・と送ってきてくれた。私が波照間島に行ったことがあって、その話をしたことがあったから。

 

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みなみちゃんに関しては詳しい訳じゃないけど、一つ言えるのは、漫画の中ではヒロインだから大層に扱われているけど、ただの幼なじみとの結婚を夢見る普通の女の子だ、、ってことだ(たしか新体操上手過ぎで、幼なじみは甲子園行っちゃうけど。笑)

 

そうなの、そうなの。

 

私、流れ流れで、今ここにいるが、田舎から東京に出てきて、

 

・何か特別な者にならないといけないような緊張感

・必死で生きないと生きていけないような切迫感

・何かしらの周りも認めるような自分らしさを発揮しないと生きている意味がないかのような思い込みがなかったら、

 

私、、自分の母のような、ゆったりとした専業主婦でよかったのかもしれない。

 

・結婚しても離婚するかもしれないのだから女性だって仕事はもっていた方がいいとか、そんな風な焦燥感だったりとかなかったら。。

・人一倍有能なのがすごい人であるのだからとか、、色んな未来の不安にたゆたうような弱い自分でなかったら、

 

そしたら私、地域の中で、出会う人出会う人に好奇心いっぱいで、心を深く通わせるのが大好きな、よく笑いよく泣く、そんな子どもだった私は、そのままでいられたんじゃないのか?もっと、自分が何者か?なんて考えずに、ゆったりと微笑んでいられたはずだ。

 

私は、ただの私でありたかったはずだ。みなみちゃんがゆったり微笑むみたいに。。。

 

 

目線が変わった大学時代

 

でも、私は大学時代通して、また仕事を見据えて悶々としていたときに、「生きるとはなんぞや?」などと深く思考してしまい、目線が変わってしまった。

 

それまでは、温かな家庭で育てられてきて、心も平和だった。そりゃぁ色々とあったけど子どもの見る狭い世界でのできごとで(今から振り返ればだけど)、親に支えてもらって越えてきた。自分が強いとか、全然えらそうな事は言えない。

 

〜世界の困難な状況にいる人のことを知るまえ、戦争について考え込む前、地球環境の危機や、自殺してしまう人たちや、そんな人たちの事に思いを馳せるようになった私は、昔と何かが変わってしまった。何か具体的にできる訳でもないのに、心の平和に穴ぼこがたくさんできた。平和で比較的平らな大地だけど、穴だらけになってしまった。ちょうどバブルが弾けたころだ。元々バブルの浮かれたのにあまり乗ってなかった私は、あの時代自体に退けていた。

 

子どもの頃から、自分のいる場所は、人としての情を通わせることのできる優しい世界であってほしかった。それを作りたかったし、子どもなりに出来ることはやった。全部自分からでしかなかった。自分からでしか。お節介な小さな女の子は、世話焼きな学生になり、でも、お世話好きになりたかった訳じゃなく、優しい世界を自分の出来る形で作っていきたかっただけだ。だから自分が平和でなければいけなかったはずなのに、不安定なまま、希望だけをもって、家という形から出た。そして社会に出てしまった。

 

あんまりへそ曲がりになることなく。へそ曲がりになることは、もっとも嫌だったかもしれない。だったら、真っ向から傷つく方がよかった。

 

ここ数年で、世話を焼く=愛みたいな〜なんか変な形に自分をはめこんで、多分世の中的にはそれの方が分かりやすいんだろうけど、都合よくそういう自分を無意識的に使ったときもあったのかもしれないが、違和感だけがずっとあった。

 

でも違うんだ。やっぱり自分を大事にすることからしか始まらない。お節介は愛だからじゃなくて、私なりの世の中への積極的な関わり方だ。馬鹿馬鹿しい言い争いはまっぴらごめんなのだ。苦しんでいる人たちがたくさんいるのに、自分の心が余計なエネルギーを使うことのアホらしさ。なのに私の未熟さよ。。。

 

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小さくても幸せな世界から、まずは作っていきたかった。こんな風に言葉に出来る前から、ずっと。

 

でも、自分の中に小さな争いがなくならない。それに、ちょっとした酷い考えが頭をよぎることがある。そんなときは、えっ!私ひどい!!?と驚いてしまう。あれはなんなんだろう。。子どもがケガをするような想像もよぎることがあるから、そうしないように、、そうならないように、、というイメージかもしれないけど。。ただの私の悪い心なんだとしたら、恐ろしい。。。

 

だから今、争いでなく、もう1回自分の中の平和を育てている所だ。

 

自分の中の平和を育てるとか、周りの人には地味すぎて気づけないだろうけど、でも、積極的にだ。

 

“ふわふわ”としていたい。

 

言葉が違うかもしれないが、“ふわふわ”とゆったりしていたい。すぐに、どこにでも目がいく、不定形で柔らかいもの。だから、とても速い判断ができるときもある。ゆるんでいるからこそだと思う。

 

“ふわふわ”という表現があってるかどうか分からないが、、そういうの、もっと得意(?笑)だと思う。“ふわふわ”してても、真面目にきちんと仕事もしたい。それは相反することではないと思っている。

 

何故“ふわふわ”していちゃぁアカンと思うのだろうか?キリキリしないと仕事ができないのか?出来ないから、みんな必死になってるだけじゃないのか?私だって、必死になるときはなってるよ・・“ふわふわ”したお間抜けにみえるかもしれないけど(笑)。逆に“ふわふわ”しているから余裕があるとも限らないし(大笑)。

 

私が“ふわふわ”してたら、誰かに迷惑をかけるのか?

 

“ふわふわ”開放させたら、私の本来のパワー・・自分の中の思いやりや積極性がどんどんすごい事になるような気がする。

 

もっと自由に・・もっと自由にさせてやりたい。

 

私の人生は、私が一番大事にしてやらないと。

 

特別でなくていい。

 

特別というか、あなたはあなたしかいないのだから。

 

これは事実だ。

 

ちがうのだから、抗っても仕方がない。

 

ちがうのに、同じでいろ〜という方が無理がある。

なのに、普通普通とみんな言う。

 

違う違うという方が、現実でしょう?

 

違うのだから、その人なりに大事にしたいことを大事にしていけばいい。

 

私は、自分の中の平和を育てている。それが、平和への貢献へと続くと思ってる。

 

〜だから、また、こうして私の平和育ての奮闘を書いていこう。

私なりの文章を。

ふわふわ・・ぽんっ!と弾けて、自由に柔らかくありながら時に強く俊敏な心で、たくさんみんなで笑って生きていきた〜い!!

 

そして、母のように落ち着いてられない最大の理由、、、私のこの好奇心!

この好奇心も、もっともっと自由にね☆

 

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〜この想い、届くといいな。

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