気にくわん。

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・ミニマル編集部です。

本日は、田里さんのお宅に伺って、素敵なライフスタイルについて、お話しを伺いたいと思います。

 

はい。わたしの普段の暮らしぶりについてご紹介します。

 

ここが玄関です。

この靴べら革作家にオーダーメイドして3日前に届いたばかりのものです。

 

中へどうぞ。部屋は2Kで築浅です。

 

部屋については自分で言うのもなんですが、かなりすっきりしていて、

今の自分のライフスタイルは結構気に入っています。

真っ白い壁で、持ち物は服装も含め、ほとんど黒で統一されています。

ガチャガチャしているのが本当に嫌いです。

 

かばんの中もミニマルに整えていて、

できるだけコンパクトになるようにアイテムも厳選しています。

お金は前よりは使わなくなりましたけど、

新しくておもしろい物見つけたら、意外と気楽に購入しますよ。

この生活になってからお金に余裕が出てきたので、好きなものに使えるお金は増えたんじゃないかな。

気になるならバッグの中身ご覧になりますか?

財布は持ってません。これにお札折って一応いれてある位で、携帯あれば基本大丈夫なんで財布やめたんです。

 

家事、特に料理はシンプルです。

冷蔵庫はこんな感じで、ほとんど何も入ってません。

飲物冷やしたいので使ってますけど、最近無くても困らないんじゃないか?って考えているので、いつかなくなるかもしれませんね。

 

キッチンも料理にはほとんど使いません。コンビニを上手く使ってほぼ毎日同じものを食べています。

ちゃんとバランスも取れているし、どこでも同じものが食べられて便利です。

洗濯や掃除はもちろんしますが、余分なものがないので、すぐ終わります。

 

ここまで納得できる感じでミニマルに暮らせているので、

最近この部屋が広すぎるように感じてしまってるんです。

 

朝ウォーキング用にさらに5分駅から離れてもいいかな〜って思ってて、

ほらだってわざわざジムにお金だして通うのとか馬鹿らしいじゃないですか。

それで、一回り小さい部屋に引越しして、家賃1万円安くできたらお得ですよね。

 

・部屋のこと何も考えないで、なんでも好きな物買っていいってなったら、何か欲しい物ありますか?

 

部屋のこと何も考えなくていいんですか?

 

いや〜もう物増やしたくないんで、ないですかね。

 

そうですね。。。あえて言うなら、実はゲド戦記のファンで、全部今漫画関係も処分しちゃったんですけど、タブレッドには入れてあるんですけど、漫画本買っちゃうかもな〜。

でも、部屋に色が入ってきちゃうから、かっこわるいですよね〜。

 

他にですか?

 

実は、お恥ずかしいんですけども、一人暮らしするまでスカジャンが大好きだった・・っていうか、今も実はかなり好きで、昔はかなり高額で刺繍の凝ったのも何枚も持ってたんですよ。実は、作家物のやつとか、どうしてもっていうのは、実はまだ実家においてあって。

 

あ、記事的に微妙になると思うんで、ここは使わないでくださいね。結局凝り性なんですよね。

 

・実は、私も学生の頃好きで着ていましたよ。

 

さっきから、その腰のチェーン格好いいな〜って思ってたんですよ。そうですか、どんなスカジャンだったんですか?あ!そういえば、この間すんごいの見つけたんですよ。

 

実は昔は古着屋にしょっちゅう通ってたんで、なんかこの間スカジャン置いてある店の前通って、なんとなく入ったら、超やばいのがあってお店の人にきいたら、非売品だったんですよ〜!!!そこのオーナーの私物らしくて。もう生では初めてみる憧れだった超ど派手の刺繍ギラギラのやつで、それ、オレが最初に3万くらいだして買ったスカジャンと同じブランドで、いや、もう、全然自分のとはレベルが違うんですけど、超格好良くて興奮しちゃったんですよ。

 

・それはいい物見ましたね。

 

やばいと言えば、TKG用の、あ、卵かけご飯用の醤油がすごい種類出てるの知ってますか?あと、卵もすごい色々種類とかあって、鶏の飼い方とか、エサとか、年齢とか、季節とかで卵の出来もすごく変わるんですよ。

この間友だちと行った定食屋でメニューにTKGがあって食べたら、マジやばいんですよ。前は、卵とか醤油とか通販で取り寄せて、TKGブログやってたことあったくらい好きなんですけど、マジあの店の卵やばくて、卵の説明写メっておいたんですけど、あの卵をばあちゃん家の米焚いて食いて〜な〜。

 

あ、炊飯器捨てたんだった。

 

===

 

佐野洋子さんの本「ヨーコさんの“言葉”」を久しぶりにパラパラ見て、上のミニマリスト系男子のお話を書きました。

この本、ある時母が宅急便の荷物の中にいれて送ってきたんです。

 

www.youtube.com

 

これは、下のNHKの番組を書籍化した本です。

この朗読を担当している声優さんが、またとても素敵なのです。お会いしたことのないヨーコさんそのものを感じさせる声で、聞いているととても落ち着きます。調べてみたら、上村典子さんという声優さんでした。

さっき、上の書籍の説明の動画を観ていたら、youtubeで勝手に続きで当時の番組動画が流れてきましたよ。

www4.nhk.or.jp

 

佐野洋子(ヨーコ)さんは、谷川俊太郎さんと結婚していたので私は知っていました。

この有名な絵本の作家さんです。

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

  • 作者:佐野 洋子
  • 発売日: 1977/10/19
  • メディア: 単行本
 

 

谷川さんの詩も雰囲気もいつも素敵ですが、ヨーコさんが描く物語りに出てくる人を見る度に、きっと本当は人間らしい、ごちゃごちゃマーブルな男性なんだろうなと思います。

 

「ヨーコさんの“言葉”」は、人の矛盾が天こ盛りのお話しです。

いくつかご紹介します。

 

・整形のテレビ番組をみていたヨーコさんが言います。

 

手術後は皆あいまいな

同じような顔になる。

ああ、世界は平らになる。

デコボコがあってこそ

この世と思うのである。

気に食わん。

 

 

 

 

・ベルリンで一人暮らしをしているヨーコさんが、公園のベンチで座っている老人たちを思い出しながら、海を見つめていいます。

 

 

今、

急激に日本人は変化しつつある。

縦につながって来た血縁を

私たちは個の確率のために

切ろうとしている。

 

そして個になっても

人間は個だけでは

生きていられないことを知り、

孤独に追い込まれてゆく。

 

「人に迷惑をかけない、

かけられない」という

戦後の日本のモラルを

再検討すべきではないか。

 

泣き泣き人の迷惑をひきうけ、

泣き泣き人に迷惑をかける、

これは大変なことであり、

精神力と体力と

経済力のかぎりを要求されるが、

 

憎むべき相手も持たない

ベルリンの老婆たちの

孤独を思う時、

 

やぶれかぶれに、人間関係複雑で、

糸目がどこにあるやらわからず、

こんぐらがったまんま

墓の中までももつれ込みたい

と思うのである。

 

 

 

 

こんなヨーコさんは、私が知ったときにはもう亡くなってらっしゃいました。

2010年に乳がんで亡くなられたのですが、最後の本のエッセイ集のタイトルは『死ぬ気まんまん』だそうです。そのうち読んでみたいと思います。

 

願わくば、1度生前にお話ししてみたかったです。

きっと、気があったんじゃないかしら、そう思うのです。

 

死ぬ気まんまん (光文社文庫)

死ぬ気まんまん (光文社文庫)

  • 作者:佐野 洋子
  • 発売日: 2013/10/08
  • メディア: 文庫
 

 

気にくわん。

 

好きに生きろや。

矛盾こそ人生の醍醐味ですよね、ヨーコさん。

 

ヨーコさんの“言葉”

ヨーコさんの“言葉”

 

 

佐野洋子 

#ヨーコさん

ヨーコさんの“言葉”

#死ぬ気まんまん

#TKG

#卵かけご飯

#スカジャン

 

魔女見習い 

 

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『魔女見習い』

 

「おばあちゃんは、なんで魔法使いのように、私の考えていることが分かるの?」

 

「それはね、ユウキのことがとても大切だからですよ。

 

ユウキのことを、よーく見ているからなのよ。

肝心なのは、ただ見るんじゃなくて、心で観ること。

大切な人とか、庭の植物とか、空とかね。

シロと毎日散歩したり、風や、

太陽のあたたかさを感じるのも。

 

今日は、魔女見習いのユウキに、楽しいレッスンを教えてあげましょう。

 

ジャンケンをするでしょう?

それで、勝った時にね、その感覚をよーく味わって覚えておくの。

もし出す瞬間に、頭や心で考えてジャンケンの手を選んだのなら、

その感じも覚えておくといいのよ。

 

勝ったときの感じ。負けた時の感じ。

どれも形にできないような、空気に筆で色をつけるような作業だけど、根気強いのがとても大事。

 

毎日が練習なの。

お友達とご飯を食べにいくときに、何を食べようかな?って、悩むでしょう?

 

でもね、悩まないで、最初に気になったものを選ぶようにするの。

それが、今の気分にピッタリで、美味しいご飯だったときには、

ジャンケンと一緒で、その選んだ時の感覚をよーく味わって覚えておくの。

もちろん、美味しくなくて、選択を失敗したときも

選ぶときどんな感じだったのかを、体と心に耳をすますの。

 

ユウキはここまで、おばあちゃんの言うことをよくきいて、

お手伝いもたくさんしてくれました。

よく動いて、たくさん食べて、たくさん眠って、とてもとてもよく出来ました。

 

だから今日はそんなユウキに、特別なご褒美として秘密を教えました。

たくさん練習して、素敵な魔女になってくださいね。」

 

 

===

以前買った本『西の魔女が死んだ』を本棚から久しぶりに手にとりました。

映画版も私は観ました。おばあちゃんの優しさが心に染みる、お気に入りのお話しです。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

  • 作者:梨木 香歩
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/08/01
  • メディア: 文庫
 

その感覚を思い出しながら、上のお話しを書きました。

書いたことは、私がやってきて、今も密やかにやっていることです。

勘を鍛えたくてやっていたことではないんですが、

結果的に、そうなんだと大人になってから気づきました。

 

勘はいい方だと思います。

この記事は、とてもよくまとまっていてすごいと思いました。私も同感だったので、リンクを張らせていただきます。

www.motesetu.com

 

勘を鍛えるためには、微かな変化に意識を向けていられるか?が大切だと思います。

 

すごく現実的なことを言うと、一人で電車に乗るときもどの席が早く空くか毎回練習しています。

多分電車に乗る前からなんとなくドアからはいって、右にいくか左にいくかその時の気分で決めています。その方向にいる人で早く降りそうだと思う人の前に立ちます。そうすると、かなりの確率で早めに降ります(その席に座るかどうかは別問題)。想像するに、あと何駅かで降りようとする人の「もうあと2駅でおりないと。」という気持ちが、何かちょっとした表情や座り方で表現されているんだと思います。

 

こういうように、言葉にならないような、ハード的にほんのささいな違いを捉えられるかどうか?と言うことです。そして、そもそも捉えたいか?ということです。ジャンケンの練習も、勝つことが目的ではなく集中の仕方学ぶということだと思っています。

 

そして、何か気づいたところで、そのことについて変化を起こすために、具体的な行動を起こせるか?とか、起こしたいか?は、また別の問題です。忙しくてその些細な変化に構ってられないなどの現実的な問題も日々わたしは出くわします。

 

ですから、その気づきに対して、どう対処していくのか?

もし魔女がいるなら、そここそが、真価が問われるところだと思います。

 

意図的に勘をよくしたいのであれば、

大きい意味で人の役に立とうとする気持ちや、優しくあろうとする覚悟が必要なのだと思います。

アニメに出てくる色んな魔法使いたちも、みんな人を助けていますよね。

 

それに、勘がよくなってからと言って、いいことばかりではありません。

気づくことが多いということは、なんでも受け取っていては疲れてしまうでしょう。これも慣れが必要です。

 

そして、私はウッカリですが、勘がよくたって、残念ながらその性格は変わりません。

 

それでもやってみたい!という人は、どのくらい時間がかかるかは分かりませんが、是非チャレンジしてみくださいね。

 

日々の小さな出来事で、いつか、あれ???勘がよくなってる?と、感じる日が訪れるまで。終わりはない練習ですが、一緒にがんばりましょう。

 

==

テーマソング 手嶌葵さんの「虹」がすばらしいです。

下の映画予告編の、1 分すぎくらいから流れます。

これだとちょっと伝わらないかもしれませんが、曲だけで聴くと本当に素敵です。

www.youtube.com

www.youtube.com

手嶌葵さんは、『ゲド戦記』の「テルーの唄」も名曲ですし、ジブリの『さよならの夏』の「コクリコ坂から」など、美しい声が心にすっと染みこんでくるようです。是非聴いてみてください。

 

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ぼくは、A

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ぼくは、A。

「えいじ」だから「えい」って呼ばれているのだと思っていたのだけど、
中学生にはいったころから、友だちは「A」って呼んでるんだって気づきました。

「Aにやらせておけばいいよ。」
「A、忘れたから教科書貸せよ。」

だいたいニヤニヤ笑いながら、言われていました。
だからぼくも恐かったし、嫌だったのだけど、ヘラヘラして言うことをきいていました。

お母さんと僕と妹は3人で暮らしていました。
お金がなくていつも困っていました。
お母さんは仕事でいつもとっても疲れていたけど、3人で一緒にご飯を食べると、うれしい気持ちになりました。
特に、ぼくたちの誕生日にケーキを食べたのが、うれしかったです。
あと、1度クリスマスのときに、妹がかわいいピンクの服を買ってもらって、飛び跳ねて喜んでいるのをみて、ぼくもすごくうれしかったです。

お金がないのに、ぼくは喘息で、
ひどい時は病院に入院することもあって、
お母さんに「ごめんなさい。」っていつも謝りました。


中学2年のとき、
離婚したはずのお父さんがある日やってきて、それから家の中がおかしくなりました。

最初はお母さんはすぐ殴るお父さんからぼくをかばってくれていたけど、
途中から部屋の隅で妹を抱いて、ブルブル震えるようになりました。
でも、お父さんはたまにお金を何万か持って帰ってくることがありました。
そうすると、
「ありがとう。」
と言って、お母さんは隠すようにお金をどこかにしまいました。


妹が6年生になって、
お母さんは飲み屋で働くようになりました。
夜中に帰ってきて、朝ぼくたちが出かけるときは、まだ寝ていました。
前の仕事にもどってほしかったけど、こっちの方がお金もらえるからね、っていわれて、
残念だけど僕たちのために働いてくれているんだと思って、我慢しました。
化粧品の匂いが好きになれなくて、家で咳がでるようになりました。
お母さんらしくない派手な服がふえたけれど、前より買い物とか出来るようになりました。

その頃から
「A、お弁当買ってきて。」
「A、洗濯しておいて。」
お母さんは、仕事で疲れているので、僕にいろいろと頼むようになったのだけど、
その頃から「えいじ」の「えい」ではなくて、「A」って、呼ばれているような気がしました。


僕は、高校なんて行かなくていいから、
早く仕事につきたいと思ってました。
それか、夜間高校にいって、日中は仕事して、無理かもしれないけど、いつか大工さんになりたいと思ってました。
プラモデルとか、何回かしか作ったことないけど、細かい作業も得意だったから。
あと、高校にはいったらバイトは絶対して、
少しお小遣いに回せたら、プラモデルをたくさんやってみたいと思ってました。


お父さんは酔っぱらった時に限って、うちに来て、お母さんか僕を叩いたり、物を投げつけたりしました。
ぼくは、お母さんに、どこか別の場所に逃げようというと
「そうだね。」って言うけど、ぼくが最後家をでるときまで、
結局お父さんは家にいたり、いなかったりが続きました。

あるとき、お父さんが酔っぱらって、お母さんにビンタをしようとしたら、
間違って妹に当たってしまい、身体の小さい妹は壁になげつけられ頭から血がだらだらでてきて
気を失ってしまいました。

僕は、お父さんに殴りかかって、勢いで机にあったセロテープ台で
お父さんを殴ってしまいました。
そんなことをするつもりはなかったけど、そうしたかったのかもしれなくて、
自分では分かりません。
気づいたら、何度も何度も殴っていました。


部屋の片側には妹が倒れていて
もう片側には、お父さんが倒れていて動きませんでした。

多分、お母さんが救急車を呼んだんだと思います。
隣のおじいさんかもしれない。

お母さんが、妹が救急車に乗せられるとき、
「お願いです!その男と娘を同じ病院に運ばないで!」
そう言いましたが、結局同じ救急車で運ばれていきました。


ぼくは一人で、血がとびちった部屋にいました。

そのあと警察がきて僕は捕まりました。

ぼくは、今度は番号で呼ばれています。


ぼくは、
ぼくは、、、





===

映画「プリズンサークル」を観ました。
それを受けて、この物語りを書いてみました。

映画「プリズンサークル」は、島根の刑務所のドキュメンタリーです。その刑務所は、受刑者同士の対話をベースに犯罪の原因を探り、更生を促す「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」というプログラムを日本で唯一導入している場所です。

単純に、同じような環境で育ったら、私が同じことをしたかもしれないと思うような、子供時代を過ごした人ばかりでした。

心が壊れたんだと思いました。

でも、この流れから一人脱出できなかったことを誰も責められないと思います。

私にも、あなたにも、あり得たことです。


この私が書いた物語に続きがあるならば、やはり人との出会いの中で、ぼくの心が修復されているストーリーがあることを祈ります。


ご興味のある方、是非ご覧ください。
prison-circle.com


===

悲しい気持ちにピッタリです。

www.youtube.com

===

詩に書いた『ママからの秘密』

昨日、詩人の白井明大さんを講師の【言葉を探す旅】という言葉のワークショップを開催しました。今年で4年目になります。

 

事前に提出の課題が、「音と声」を意識して書く・・ということでした。

 

その書いた詩を掲載します。

 

この詩の味わい方、、、、

 

女性”には、お母さんになったつもりで、できれば、声に出して読んでみてほしいです。

男性”には、初恋の女の子のことを思い出しながら、読んでみてほしいです。

 

そして、読み終わったら、

恋人や、家族や仕事仲間のことを、是非思い出してみてください。

 

https://images.unsplash.com/photo-1512418230956-f3d84a03e491?auto=format&fit=crop&w=634&q=80&ixid=dW5zcGxhc2guY29tOzs7Ozs%3D

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『ママからの秘密』 

 

ゆうちゃんも十二歳になって

好きな男の子もいるようだし?

そろそろママから恋の秘密を教えてあげる

 

いい?

 

まず好きな子ができたらね

一人のときに

その子の名前を口に出して呼んでみるの

馬鹿みたいで恥ずかしいかもしれないけど

毎日何回かは呼んでみて

 

一人のときに呼ぶ練習をしておくと

本当に学校で挨拶をするときだって

優しく話しかけられるんだよ

ちょっとはドキドキも減るかもしれないし

 

それで

ここが大切な所なんだけど

それは好きな子のためだけじゃないの

ゆうちゃんがゆうちゃんの声で

優しくなっていけるのよ

 

人はね

優しい気持ちで

誰かを呼んだり呼ばれたりすると

自分は大事に扱ってもらえる人なんだって

どんどん体に優しさが染みてくるの

 

それは

自分で言って自分の耳で聞いてだって同じで

ちょっとずつ安心して

私は大丈夫だって気持ちになっていけるものなのよ

 

ここまでいい?

 

それで

いよいよ両想いになったときにはね

 

好きな子の前で

もっと優しく名前を呼ぶの

最初の文字から最後の文字まで

全部大事に呼ぶの

 

ゆうちゃんは何も考えなくてもそう出来るだろうけど

中には好きな子にだって

優しく呼ぶのが下手な子もいるのよ

 

大きくなってくる間に

優しく呼ばれた回数が少ないと

よく分からないものなの

 

好きになった子がそういう子だと

ちょっと寂しい気持ちになるかもしれないけど

ゆうちゃんは変わらず優しく呼んであげてね

そういう子には特別に

あなたの事が大好きだよって気持ちを込めてね

 

まぁ

思春期男子は恥ずかしがっちゃってダメだから

そこはゆうちゃんの腕の見せどころだけどね

ママの娘だからきっと大丈夫

 

誰だって

何度も何度も名前を呼んでもらって

優しさを育てていくものなんだから

私ばっかりなんて損した気持ちにならないで

諦めないのが肝心

 

 

人はね

どうにかして自分が生き残っていくために

自分だけは!って気持ちがぎゅ〜っと詰まった

小さくてとっても冷たい粒みたいなものを

心の真ん中にもってみんな生まれてくるの

 

そのことは

ただ知っているだけでいいし

あんまり深く考えなくてもいいんだけど

 

悲しい気持ちで育ってきた人はね

それがどんどん大きくなって

優しさを入れられる場所なんて

ほんのちょっとしかないの

 

でも

好きになった人に

優しく何度も名前を呼んでもらって

自分でも

優しく何度も名前を呼んでいるうちに

 

少しづつ

その粒が溶けて小さくなっていって

優しさを入れられる場所が出来てくるの

 

ゆうちゃんだって

好きな人に

もう好きじゃないって言われたら

その粒が大きくなるかもしれない

 

でも

何度も名前を呼んでもらって

心と体に染みた優しさが

ぎりぎりのところで

その粒が破裂しないように守ってくれるのよ

 

だから

ゆうちゃんたちみたいな年から

優しい気持ちで名前を呼び合うことが大事なの

一度優しさが詰まったら

そうそう簡単には冷え切ったりはしないから

 

それは好きな人だけじゃなくて

友だちにも家族にも誰にだって

ゆうちゃんが優しく名前を呼ぶ度に

みんなが少しずつ強くなっていけるの

 

この秘密は

簡単で誰にも気付かれないことだけど

本当にすごい事は

大体ひっそりとしていて

でも

すごいパワーをもっている

 

ゆうちゃんはね

みんなからたくさん名前を呼ばれて

愛されて大きくなってきたのだから

きっと上手に出来るはず

 

ううん

特別に上手に出来るように

パパとママで『優』って名前にしたのだから

 

 

またいつか次の秘密を教えてあげる

 

 

好きな子と両想いになれるといいね

ママ応援してる

パパは応援しないかもしれないけどね

 

 

 

 田川登美子

 

2017/12/4

 

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終了後の交流会で、「頭のネジが2本か3本抜けてないと、こんな詩は普通照れくさくって書けないよ〜」と、ビール片手に楽しそうに白井さんがおっしゃいました(勝手に褒め言葉で受け取っていますが。笑)。違うんです。自分ってなんだろう?と自分に突きつけつづけてきました。必死で。その覚悟が、白井さんのおっしゃるところの、ネジを抜く・・ということなのだと思います。悶々と葛藤してきた過程が、どうも人柄に滲みでないのが残念です(大笑)あ、ちなみに、私に娘はおりません。

 

白井さんとの『言葉を探す旅』、とても面白いので興味ある方、次のときには、是非ご参加くださいね。

 

登美子

 

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透明であればあるほど感動する♪ハレルヤ3選

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人は透明な管である

 

私は、自分のことを、透明な管である・・そういう風にイメージしている。まさに筒抜けで、何かが通り抜けるだけの体という管。

 

現実的にも、食べ物なんて、例えばそうだしね。結局出て行くけど、その間で何かしらの別のエネルギーに変換していくこと自体が、生きるってことなのかなと。歩くこと、仕事すること、泣くこと、笑うこと、歌うこと、踊ること。

 

透明な管がにごれば、なにか重い気分になるけれど、なかなか普段曇りのないような透明でいるのは簡単にはできない。自分に馬鹿正直な人にとっては他愛のないことだが、だいたいの普通の人は、周りの人にどう思われようとも!と、心を強くもち、日々の選択を研ぎ澄ますことが必要になってくるだろう。

 

心の酸化

 

私が言う透明でいるという事は、基本的には心のことなのだけど、道具としての体の方も、老いる・・枯れる〜でなく、腐敗、、酸化しているような体になる理由が心とリンクしているようなにごりを持つ人だと、距離をとりたくなる。多分こんな風に考えないだけで、大体の人がそう感じるものだと思う。例えば、昨夜遅くに、次男の受験結果のことで落ち着かず、久々にスナック菓子にとりつかれた私の体も今朝は酸化気味・・こういう事が繰り返される人のことだ。逆に、透明代表の生まれたばかりの赤ちゃんの美しさは格別だ。

 

だから、そういう透明な管のような人に憧れる。

 

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私のお手本、透明すぎて感動する♪Hallelujah 3選

 

昨年末から私はレナードコーエンの♪Hallelujahブームである。いや違うか?Jeff Buckleyがカバーしたバージョンかもしれない。たまたまfacebookでクリスマス以降に立て続けに3つ現れたのだが、みんな透明な管であった。この歌っている人たちの自分の使い方は、まさに私が生き方のお手本にしたい所で、何度も見ても飽きず、繰り返し観てしまった。聴くだけより動画を見た方がいい。

 

曇りなくまっすぐに自分という人間を使いきる〜というのは、こういう事だと思う。私の文章は、まだ全然、この歌たちのような透明さで人の心を揺らすことなどできないが、この♪Hallelujahを歌う人と同じように書けるようになりたいと思う。

 

透明度120% ♪Hallelujah この少女のように生きたい

etcanada.com

 

 透明度110% ♪Hallelujah この神父さんのような茶目っ気のある人になりたい


 

 

透明度100% ♪Hallelujah 歌姫3人も素敵だけど、この観客のように真っ直ぐでありたい


 

 

ルーファス・ウェインライトレナード・コーエンの名曲“Hallelujah”を1500人のコーラス隊と共にカヴァー。この時のコーラス隊の人たちも素敵。

Choir! Choir! Choir! Epic! Nights: Rufus Wainwright + 1500 Singers sing HALLELUJAH!

 

♪Hallelujahという歌自体が、人の心を美しく力があるのだろう。是非1度ご覧ください。

 

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親の老後を心配する前にやりたいこと

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 今、「老人 介護施設」のキーワードで検索して一番上に出てきたサイトで、我が家近くの住所で<介護付有料老人ホーム>を選んで料金を検索してみた。

 

入居時540万〜780万

月額18.14万円〜22.14万円

 

これは1人分なのだから、2人が入れば倍かかる。さて、これを我が家が支払えるか?と聞けば、支払えない。これから子どもの高校から大学への費用を負担することに、ドキドキしているような状況だ。

では、親が自分で支払えるか?といえば、どうしても!となれば、最悪持っているものを手放せば、なんとかなるのかもしれない。人それぞれだろうが、私の親(80才前後)の世代は戦後の復興世代で、夢のマイホーム志向。(というか当時うちの辺りにはアパートらしいアパートなかったな、、長屋があったか)、それを手放せば。。。いやでもどうだろう、、月額がこれだけかかるとなったら、長生き次第で、途中でお金がなくなったら急に出ていかないといけなくなるのだし・・・・それって、恐ろしい。。。お金のなくなった老人を野に放つのか。。。

 

親の老後を考える初心者の私

実は、昨日ちょっとした出来事があって、親の老後について、いよいよ現実的に考えを巡らす瞬間があった。少し不安を感じたことで、親の金銭的な事実確認はいったん置いておいて、兄弟で親のための貯金を小額でも始めようか、、なんて話しをしたりした。

うちの両親は父も80才半ばでも元気なのもあって、親の老後を考える人としては初心者の私。遅かりしデビューかもしれない。でも、早いところは70代、60代でだって、長期入院や介護、痴呆などで親のケアをしているご家族もたくさんあるだろう。うちは元気が故に、年金暮らしが始まって大分経つというのに、どうも子ども心から抜けきれないでいる私。呆れたものだ。

 

親も子も、愛情をかける→だから、お金をかける時もある。逆じゃない。

自分が今まさに塾の費用など、子どもにお金がかかるようになってきて、出費は馬鹿にならないが、お金の前に愛情があるからやっている。実際には、我が家の家計で可能な範囲で、愛情をかけているということなんだと思う。お金がなければ、塾にはいかせられないだろう。でも、無いならないで、参考書を買うなり、短期講習にだけ行くなり、可能な範囲でやるだろう。私立高校がむずかしければ、都立高校のランクを下げてでも受験するのだろう。それが、不幸か?といえば、子どもにとっては思い通りにならないことで辛いところだろうが、仕方がない〜以上でも以下でもないのだと思う。本当に大変なのは、思い通りにいかない上に、親の愛情がかけてもらえない子どもたちだ。勉強したい子なら尚更、それは困難でしかない。。。

子が親の老後の手伝いをするときも、愛情をかける→だから、お金がかかる時もある。冒頭に書いたような情報だけ見ると、お金がないと今のご時世随分不安な気持ちにさせられるが、結局子育てと同じなのだと思う。出来る範囲でやれることをやらせてもらう。でも、みんなにとって長い人生なのだから無理もできないし、協力しあって、できるだけ笑顔でいられることを優先して、生きていきたい。

そりゃぁ、何不自由なく老後を過ごしてもらう〜ことが、贅沢をしてもらうことなのだと思えば辛くもなるが、ごちゃごちゃしながらでも、みんなでワタワタ手をとりあって生きて行くのも悪くない。最後っくらい、すっとこどっこいでもいい。今もか?(о´∀`о)

それに、大変だとも限らない。うちのおばあちゃんたちは、家族と一緒にくらし、所謂ぽっくりと天国に行った。そして、一応言っておくが、施設に入ること=幸せなことだ〜と思ってはいない。人それぞれだし、それぞれの事情がある。

 

老後の親の心配をするなら、親との関係の構築が先

ともかく、愛情が先。これを押さえておくと、お金の不安が少し和らぐ。そういった意味で老後の親の心配をするならば、親との関係の構築が先。お互いもう頭がカチコチなら、いい意味で諦めも必要だろう。本当の意味で泣くのは、ここだろう。

 

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異性の親のケア

現実的には、親の状況によっては、いろんなサポートで社会にささえてもらわなければ、やりきれないだろうし、痴呆症になって徘徊なども出てくれば、それこそ子どもの方が気が変になりそうになったりする時もあるだろう。子の方も年をとって自分の仕事や世話だけで一杯一杯なのに、その上にお金の心配があれば仕事だって親のためにも尚更やめる訳にもいかないし、笑ってばかりも、いさせてはもらえない。

最近は介護や痴呆症を扱った映画も多い。歌手のさだまさしさんの書かれた短編で『サクラサク』という介護と家族再生の映画を観たことがあるが、急に痴呆になってしまった同居の義理のお父さんがトイレを失敗したときの対応にお嫁さんが発狂してしまうシーンには、現実を考えてうなってしまった。ラストは爽やかなので、良かったらご覧ください。

また、自宅に訪問介護のヘルパーさんをやっていた友だちがいるが、話しを聞けば壮絶なお家も多く、面食らってしまう。息子と母の二人暮らし。そのお宅に最初に伺った日のこと、息子は二階で顔も出さず手も出さずいるそうで挨拶にも来ない。痴呆の母は1階に住まうのだが、トイレが一人で出来ないらしく、、もうね、ご想像の通りの惨状で。。。本当に難しい。

 

特にもっとも難しいのが、異性の親。難関は、異性の義理の親のケア。仲がよければ、それでもなんとかするのだろうけど…。

 

中国の智恵に納得!

一人っ子政策前の中国での親の老後のケアの仕方について、中国人の方に直接聞いたことがある。なんと、中国では、長男の家に親が住まうのではなく、長女の家に親が住まうそうだ。だから、老後の世話が必要になっても、メンタル的にはまだしも楽なんだそうで。。でも、今は子どもが減ってしまったので、男の子しかいないお家は、やっぱりお嫁さんがお世話をすることになって、問題になっていると、5年前くらいに聞いた。心の底から納得だ。

日本は今は一人っ子が多いから、そういった意味でもこれから大変だ・・今自分の身になってみると、兄弟がいて同じ目線で相談できる相手がいるだけでも、本当に有り難い。

 

今より電話の回数を増やそう♪

そんな過酷さも待っているかもしれないが、自分自身が老人で70過ぎたら、クヨクヨしてても仕方ないと思う。それを分かっているのかうちの両親は、電話で話すとき、どちらかが電話に出ているその後ろで、もう一人がゲラゲラ笑ってる。私がおもしろいのか、楽しいのか、なんだかよくは分からないが、素敵なことだ。

我が子もあと25年くらいしたら、弱った私をみて、そろそろ親を世話する側に俺もなったのか・・と思うのだろう。お互いに負担にならないように、"健康第一"でいくしかないだろう。心の健康もね。

 

親からもらった愛情ほどに親にやってあげられないかもしれないが、お金の不安でなく、まずは愛情だと心に置いて、今できることから始めよう。そうね、、今より電話の回数を増やそうと思う。ちょっとしたプレゼントをこれからも贈ろうと思う。まだまだお互いに愛情をかけあえる、だって、、まだ生きているのだから。。
 

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この想い、あなたにも届くといいな。

 

古民家を借りたら仏壇がついていた。

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仏壇付の家を借りて住む

 

我が家には仏壇がある。しかも、我が家のものではない仏壇。我が家は東京の端っこで、100年以上経つ、熊鹿でるような山の中の古民家をお借りしてもう8年いるのだが、公に貸すつもりのなかった大家さんを、不動産屋さん(の個人的な友人のために)が大家さんをくどいて貸してもらえる事になった経緯らしく、その賃貸条件がなんと<仏壇付>だったのだ。人によっては抵抗があるのだろうが、私は実家に仏壇がなかったせいか捉え方が自由であまり気にならなかった(神棚もあるよ)。この家は、大家さんのお母さんの方のご実家なのだが、そのお母さんが昨年急に亡くなられた。

それまでも時折思い立っては、風を入れるために仏壇を開けて掃除をしてお水やお菓子を供えてご先祖様に手を合わせてお礼を言ってきたが、大家さんから頼まれた訳でなく、やりたくてやっていただけだ。お盆の時には、お母さんが生菓子とお花を供えにきたが、私の<仏壇付>の仏壇との付き合いは、その程度であった。

でも、このお家で生まれたそのお母さんが亡くなったのだ。私の中では、全くもって当たり前に、その日から仏壇を開けたままにして、お花をいけて、お水をかえ、お菓子や果物の交換して、お線香をあげて、手を合わせるという日々がふいとスタートした。たまに出来ない日以外は。

そして、これは内緒?(笑)でもないが、この仏壇にはお母さんのご親族以外に仲間が増えている。いや、勝手に増やしたのだ。不謹慎だと驚かれる方もあるだろうが、仏壇の前にちょっと置かせていただいているのだが、ここ数年で亡くなった知人の分骨された小さなお骨が2人分。・・・大丈夫、この家も、このご先祖様たちも亡くなってまでそんなケチくさく事は言わないし、楽しくやってくれていると疑っていない。自由な私のことを笑ってると思う。

 

 

 思い出は、今の私と共にある。

お年寄りが手を合わせる時間が長くなるのは当たり前なことだ。大事な家族や友だちに先立たれたら、心の中で言葉を投げかけていると、どんどん長くなるんだろうと思う。

 

実は今日、仕事でお世話になっていた方が、先日お若くして病気で亡くなられたのを知った。それでこれを書きたくなった。

その方に元気を出していただきたくて贈るつもりのプレゼントを仕事仲間と送る準備しているタイミングで、とても悲しい気持ちで今もいる。贈るプレゼントのひとつが、ラクダの人形だった。

 

「ゆっくり休んでくださいね〜。またお会いできるのを楽しみにしてま〜す!」そんな気持ちがこもっていた。

 

そして、また仏壇前の仲間が増えてしまった。ラクダ。。

 

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〜マミさん、天国はどうですか?本当に寂しいですよ。。。きれいなお花畑があるのかなぁ〜?ゆったりお過ごしくださいね。天国から彼を見守ってくださいね。私たちもがんばります。

 

(本当はまだそんな風にさっぱり思えてなく、哀しみを味わっている所なのですが)

 

 

私たちは自分の思い出のフィルターを通してしか、出来事を見られない。

 

 一つのもの、一つの景色。なんとなく見ているそれぞれは、情報としては同じものであったとしても、自分への取り込み方は人の数分あるはずだ。私たちは自分の思い出のフィルターを通してしか、出来事を見られない。それに励まされ、愛おしくもなる。逆に、ぼ〜〜っと感じた後に流れに任せていると、関係ないところで変な思い込みや癖が発動し、一人勝手なストーリーが頭で展開されて「あいつは、また!」などと怒ったり勘違いしてしまったりするものだ。

 

・・・私の中の、人が亡くなった思い出が、悲しいけれど、優しいものであることに、感謝している。

 

亡くなったお一人お一人のお人柄のお陰。

みんなありがとうございます。

 

そうして今日も朝仏壇の前で手を合わせて、一日が始まるのだった。